曹洞宗 鳳来山 光厳寺
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光厳寺の歴史 歴史写真
 光厳寺は鳳来山光厳寺と号し大本山永平寺直末の曹洞宗寺院である。寺の縁起は室町時代人皇九十六代光厳天皇の御開基で大本山永平寺八世鷹林喜純禅師を開山としている。江戸時代の天文、正保、安永年間に火災により重宝類は焼失し寺歴に不明な点がある。

  戦後、三十四世源雄和尚、そして平成に三十五世現住紘洋和尚により本堂の屋根替、庫裡の改築、衆寮堂の改修、鐘楼開山堂の建設、山門移築、中雀門の新築、墓地の造成、大駐車場の整備と一新した。また社会福祉事業も、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム鏑泉苑デイサービスセンター、高瀬保育園の設置と幼児教育から高齢者の介護に至るまで全人教育を視野に入れている。更に座禅会や講演会等布教活動にも力を注いでいる。


永代供養墓 永代供養墓
 近代社会の状況は、お墓に対する従来のあり方に対し、さまざまな変化をもたらしております。その要因と致しましては、戦後の核家族化や少子化問題および高齢化社会を迎え生活環境が非定住化している昨今、代々受け継がれることを前提とした従来のお墓では、やすらかな永眠ができにくくなっているからと、思われます。
  永代供養墓は、こうした時代背景の中、継承問題をはじめとする様々なお墓の悩みの解決方法として多くの支持をうけ『新しいお墓』として注目されております。
  永代経というものが古くからありますが、これは永代にわたる、既に亡くなった故人や先祖の供養を、お寺にお願いするというもので、お墓という形における変化をもたらすものではありません。
  永代供養墓は、本人が自分自身の意思により、生前にお寺に申し込むことができます。


如何なるか仏教 如何なるか
 中国の唐の時代に、道林禅師という一風変わった僧がいた。毎日木の枝に登って坐禅をしていたので、遠くから見ると丁度鳥の巣のように見えるところから、人呼んで鳥窠禅師とアダ名した。
  この道林の所へある日、唐代随一古今稀に見る大詩人と定評のある白楽天が訪ねてきた。
「一風変わった道林とは一体どんな僧か。一つ試してみよう。もし大した事がなかったら、笑ってやろう」という訳で。
  やがて彼は高飛車に問いかけた。
「仏教とは大層な教えらしいが、その一番大切なことは何だ!」
道林は静かに答えた。
「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」
  簡単に意訳すると「悪い事は一切するな。善いことは何でもやれ。そして自分の心を浄め高める。これが諸々の仏の教えだ」
  それを聞いた白楽天「ワッハッハッ・・・」と大笑いして「なんだ仏教とは、そんなタワイもないことか。そんな簡単な事なら、何も貴僧に聞かずとも、三ッ児だって知ってるわい」とあざ笑った。
  すると道林、にこにこ笑いながら、白楽天にむかい「三ッ児でも知っているようなそんな簡単な事が、八十になってもまだ行えぬではないか」と答えた。
  白楽天もさすが才知溢れた人、そのとたん「ハアアー全くその通りです」と、思わず平伏、わびを入れて、以後道林に弟子入りして仏道に励んだという。
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