曹洞宗 鳳来山 光厳寺
年中行事
ホーム 寺院紹介 年中行事 ブログ 交通アクセス お問い合わせ

1月 修正会 (正月3か日) 年中行事写真
2月 涅槃会 (2月15日)
3月 彼岸会
4月 釈尊降誕会 (4月8日)
8月 お盆・盂蘭盆会
9月 彼岸会・両祖忌(9月29日)
10月 達磨忌 (10月5日)
12月 成道会 (12月8日)

年末の行事(除夜)


1月修正会(しゅしょうえ) -正月3か日-
 新しい年の始まりにあたり最初に営まれる法要です。かつては、正月修法を略して「修正会」といいましたが、現在の曹洞宗ではこの名称は用いていません。

 元旦から三日まで行われたことから「三朝祈祷会」ともいいます。元旦を期して、一年間の世界平和や檀信徒の健康、仏法の興隆を祈ります。多くの寺院では『大般若経』による祈祷法要として行われていました。

 もともとは、「悔過」という儀式をつとめ、前年の過ちを悔い、修正する法要で奈良時代に始まりました。現在でも、良き一年を迎えんがため、行われる大切な法要ですし、合わせてお札なども配られる場合もあるかと思います。もし、開催の案内が来ましたら、一年最初のお寺参りということで、足をお運びください。
工事中
このページの上へ
2月涅槃会(ねはんえ)  -2月15日-
 2月15日は、お釈迦様がお亡くなりになった日にちで「涅槃会」といいます。お悟りを開かれたお釈迦さまはその後、45年にもわたり、人びとに教えを説く旅を続けられました。

 その間、多くの人びとがお釈迦さまの教えに導かれ、お弟子や信者となっていきました。その伝道の旅の最期の地となったのは、クシナガラという所でした。いよいよ自分の死が近いことを察したお釈迦さまは、弟子たちにこう説かれました。「私の亡きあとは、私ではなく自分自身をより所として、また私が伝えた教えを、闇を照らすともしびとして、歩んでゆきなさい」お釈迦さまは個人崇拝の対象となることを否定され、弟子一人ひとりが確かに、自立して進むことを求めたのでした。

 そして「もろもろの存在は変わりゆく。怠らず精進しなさい。」という最期の言葉を残し、静かに息をひきとったのでした。お釈迦さまのご命日である涅槃会の日には、全国各地の寺院でお釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」をかけて、そのご遺徳をしのぶ法要が行われます。
工事中
このページの上へ
3月彼岸会(ひがんえ)
 彼岸会という行事は、特に日本にて盛んに修行されるもので、古い記録では『日本後紀』巻13の「大同元年(806)3月辛巳の条」に、「諸国の国分寺の僧をして春秋二仲月別七日に、『金剛般若経』を読ましむ」と出ています。心ならずも死することとなった崇道天皇(早良親王)の無念を鎮めるためであったということです。それが、徐々に世間に広まり、この一週間は、とにかく善行を行い善い功徳を積む期間として理解されるようになり、お寺参りやお墓参りを行うようになります。「彼岸」という言葉は、「彼方の岸」の略ですから、つまり煩悩の激流である海の「此岸(しがん)」から、修行によって海を渡りきり、輪廻を超えた涅槃の境地に入ることを意味します。特に菩薩の修行には「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれる修行の種類がありますが、この「波羅蜜」というのは[パーラミター]の音写で、意味は「修行の完成」になり、それを表す意味の語が「彼岸到(到彼岸)」とされます。したがって、「波羅蜜」=「彼岸到」とは、「修行の結果、行くことの出来る理想的な場所」です。その修行の完成を期する期間が、彼岸会の一週間になります。「波羅蜜」は、具体的には「六波羅蜜」とされ、以下の内容に分かれます。

①布施 (ふせ 衣食住という財物を与える財施と、法を教え安心を与える法施と、他人の恐怖を除く無畏施とがある)与える喜びを知ります。
②持戒 (じかい 身口意の三業に関わる戒律を護持すること)してはいけないと思うことはしません。
③忍辱 (にんにく 他からの迫害や苦難に耐え、恨みを抱かないこと)感情に流されず、辛抱強くものごとにあたります。
④精進 (しょうじん 六波羅蜜を修めることを努力すること)するべきことに少しずつでも励みます。
⑤禅定 (せんじょう 坐禅を修行し、心を集中させること)心穏やかにすごします。
⑥智慧 (ちえ 智慧を得ること)ものごとの道理を、正しく、深く理解します。

 それぞれに難しい修行になりますので、容易に完成することはかないませんけれども、お寺へのお参りの中で、少しでも心を安らかにし、この実践を目指していただきたいものです。我々が春3月と秋9月に行う「彼岸会」には、お墓にお参りをし、お花や線香を供え、真心の合掌を捧げる修行が必要ですが、これはつまり、一度行ったから、後はほったらかしにするのではなく、何度でも何度でも繰り返し行うことが肝心なのです。お寺とは、死者を追善供養する役割も重要ですが、ご自分やご家族に何かあったときはご住職に相談されるのもよろしいと思います。亡くなってから、葬儀の場という場だけで会うのは寂しすぎます。お彼岸の機会にお参りに行った際、合わせて一言ご挨拶されるのも良いことだと思います。お彼岸の前日には、仏壇のお掃除はもちろん、仏具などもきれいにして、お花もかえます。花は樒(しきみ)が一般的ですが、季節の新しい花を挿してあげれば、一層よいことです。お彼岸の入り日は、お仏壇に団子を一対(いっつい)山形にして供えます。中日(ちゅうにち)(春分又は秋分の日)には、おはぎやぼた餅を供え、明けの日には、再びお団子を供えます。この間、お霊供膳(れいぐぜん)、珍しいお菓子、果物も供えます。

【お寺参り】
 お寺へは、ご本尊さまやご先祖さまにお餅(もち)、お菓子、果物などを供えてお参リします。また、お墓参リをして彼岸報恩の行事といたします。遠方でご無沙汰の方は、ぜひお彼岸中にお寺やお墓にお参りいたしましょう。近所、親戚などへ手づくリのおはぎ、ぼた餅などを差し上げることなども、お彼岸にふさわしい心の温かさを覚えます。

【お墓参り】
 お墓参りは、まず墓石と墓地のお掃除から。特に汚れやすい水鉢や花立てなどは、念入リに清めます。古くなった塔婆は合掌して抜きとリ、お寺の指図で処分します。お墓がきれいになったら、清らかな水、線香、故人の好物などを供え、お坊さんに墓経をお願いして、まごころをこめ、合掌礼拝します。食べもののお供えは、お参りのあとで下げるようにしましょう。お供え物が悪くなリ不衛生になることは、誰も喜びません。また、無縁のお墓もきれいにし、お線香やお花を供える想いを持ちたいものです。
工事中 工事中
このページの上へ
4月釈尊降誕会(花まつり) -4月8日-
 4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。
 シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。一般的に「お釈迦さま」や「釈尊」と呼ばれますが、これは「シャカ族の尊い方」という意味を表す尊称です。
 伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。この言葉は「人は誰もが、かけがえのない命を生きている」という、仏教のもつ人間尊重の精神を端的にあらわしています。またこの時に、お釈迦さまの誕生を祝った竜王が甘露の雨を降らせたとも伝えられています。
 「花まつり」は、曹洞宗寺院だけでなく、多くの仏教寺院や仏教系の幼稚園、学校などで、広く行われています。ルンビニー園の誕生の様子を表した「花御堂(はなみどう)」を飾り、その中央には天地を指差した誕生のお姿を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ、華やかにお祝いされます。

「人は誰もが、かけがえのない命を生きている」

 思いを巡らせれば、私達は皆、お釈迦さまと同じように、誰にもかわることの出来ない、かけがえのない「いのち」を生きている事に気づくことでしょう。人類が誕生して以来、数え切れないほどの人びとが生き、また現在、数十億の人びとが共に存在しているなかで、誰一人として「わたし」と同じように生き、悩み、考え、行動する人はいないのです。4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いすると同時に、それぞれの「かけがえのない命の尊さ」に眼を向け、正しく生きることをお誓いする日にしたいものです。
工事中
このページの上へ
8月お盆・盂蘭盆会(うらぼんえ)

盂蘭盆会(お盆)
 お盆は、お彼岸とならんで昔から行われている大切な仏教行事の一つです。
また正月とともに1年の大切な区切りであり、多くの親類縁者が顔を合わせ、大切な方々との「つながり」を再確認する機会でもあるでしょう。
お盆の時期は地方によって様々ですが、一般には7月15日、あるいは月遅れ盆(8月15日)や旧盆(旧暦7月15日)のいずれかに行われるのが一般的です。その歴史は古く、『日本書紀』の中にはすでにお盆行事の記録が残っています。

お盆の準備
 お盆の月に入ったら、まずお仏壇の掃除をしましょう。お仏壇はご本尊様とご先祖様をおまつりする大切な場所です。家族みんなで心をこめて清掃しましょう。また、香炉の灰もふるいにかけ、古い線香の残りなども丹念に取り除きましょう。
仏壇と別に盆棚(精霊棚)をまつる場合は、お位牌を盆棚にお移しします。盆棚の祀り方は地方によって異なりますが、一例を紹介しておきます。
また、お盆が近づいてきたらお墓の清掃を行います。家族みんなでお墓に出かけ、草むしり、墓石の洗浄など、丁寧におつとめしましょう。

迎え火
 13日は「迎え盆」といい、夕刻にご先祖様をお迎えします。まず菩提寺とお墓にお参りし、お花やお線香を供え、ご先祖様をご案内する気持ちで提灯に明かり(迎え火)を灯し、家路につきます。(地域によっては門口で迎え火を焚きます。それぞれの慣習に従ってお迎えしてください。)
家に着いたら迎え火を盆棚のお灯明に移し、全員でお参りします。
これからお盆の期間中は、お団子やソウメン、ぼた餅などの変わり物と、「水の子」といわれる米と生茄子、胡瓜などをサイの目に切ったものを、ハスの葉などに盛って供えます。それぞれの地域、家庭によってお供え物も異なりますが、慣習に従って心をこめてご接待しましょう。

送り火
 16日(地域によっては15日)は、お迎えしたご先祖様をお見送りする「送り盆」の日です。この日、全国各地では送り火の意味で灯篭流しなどが行われます。また京都の大文字なども、有名な送り火の一つです。

ご先祖様が里帰りするお盆
 この世に生きる私たちと、大切な亡き人とが触れ合う大切な行事です。久しぶりに故郷に集まった家族や親族と共に過ごす楽しい語らいの時間を、生死を越えた「つながり」の尊さを再確認しながら、大切に過ごしたいものです。

工事中 工事中
このページの上へ
9月彼岸会(ひがんえ)・両祖忌(りょうそき) -9月29日-

※彼岸会は3月を参照して下さい

両祖さまは、曹洞宗の檀信徒にとって信仰の上で特に大切なお方です。現在の日本曹洞宗では、明治10年(1877)12月20日に制定された「祖師忌改正条例」によって、太陽暦での9月29日に両祖が示寂したとし、その日を両祖忌と定めています。

道元禅師は、建長五年(1253)8月28日に54歳で、瑩山禅師は、正中2年(1325)8月15日に62歳で亡くなられましたが、「祖師忌改正条例」では、太陽暦では、いずれも9月29日になるということで、この日を両祖忌と呼び、曹洞宗の各寺院では報恩の法要を営みます。

また、道元禅師の生誕を祝う高祖降誕会(こうそごうたんえ)(1月26日)、瑩山禅師の太祖降誕会(たいそごうたんえ)(11月21日)も、大切な聖日です。

以下には、その両祖忌にて宣読される「両祖忌疏」の訓読文をご紹介いたします。両祖さまの御威徳を、漢詩にして表現したものです。

【両祖忌疏】
浄法界の身、本と出没無し、
大悲の願力、去来を示現す。
仰ぎ冀くは真慈、俯して照鑑を垂れたまえ。
日本国 都道府県 某郡市町村 何山何寺住持法孫比丘某甲。
今月今日、恭しく高祖承陽大師 太祖常済大師 大般涅槃の辰に値う。
虔んで香華燈燭山蔬野茗の微供を備え、特に現前の法孫を集め、恭しく真前に就いて、経呪を諷誦す、集むる所の殊勲は、上み慈恩に酬いん者なり。
右、伏して以れば、
万里の波涛を超えて、空手還郷、遠く天童の異苗を玲瓏巌畔に植え、
四代の盂鉢を承けて通身喫飯、直に永平の霊木を羯鼓林中に挿む。
是に於いてか、
天下出世の道場、永く古仏の徳を讃仰し、
日域無双の禅苑、常に至尊の恩に報答す。
誠に知る、
眼蔵の遺篇は、綿密の祖道を興起し、
伝光の秘録は、豁達の禅風を宣揚す。
既に九十余巻の妙典有り、
何ぞ五十二代の法灯無からんや。
越渓の水は、鶴湾に注いで、普く三界を霑し、
吉峰の雲は諸嶽を繞って、広く万邦を蔭う。
仰ぎ庶くは、
日月双べ懸けて、光明を一万四千の門刹に輝かし、
父子親密にして、慈悲を十方億万の人天に垂れたまわんことを。
謹んで疏。

工事中 工事中
このページの上へ
10月達磨忌(だるまき) -10月5日-
 「七転び八起き」のことわざや「ダルマさん」の愛称で知られている達磨大師は、初めてインドから中国に禅の教えを伝えられた方で、禅宗の初祖と言われています。「震旦(中国のこと)初祖」または「円覚大師」ともお呼びし、宗門寺院では本堂の向かって左の段にまつられています。
 赤い縁起達磨(ダルマさん)は、達磨大師が寒さよけに頭から「被」と呼ばれた掛け布団をかぶって坐禅している姿がもとになっているとされます。特に、群馬県の高崎市がその産地として有名ですが、寺院のみならずお宮でも、縁起物として売られます。これは、ダルマさんが何度転んでも起き上がるので、縁起が良いとされたのです。
 また、選挙の時などもたまに見受けられますが、ダルマさんの「目」を墨で書き入れる風習があり、養蚕地帯に多く見られることだとされます。春蚕が当たるとダルマの片目を入れ、秋蚕も良いともう一方の目を入れるのです。
 達磨大師は、中国北魏・梁代頃に、インドから来た渡来僧と伝えられ、お釈迦様から数えて28代目のお祖師さま、中国禅宗の初祖とされるお方で、円覚大師菩提達磨大和尚と称します。
 「碧眼の胡僧(青い目の異国の僧)」とも表現されますが、伝記に関しては諸説ございます。禅宗の伝統的な見解では、梁の普通8年(527年)に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都、建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、崇山少林寺に入って、面壁九年(九年間、壁に面して坐禅すること)されたことから、「壁観婆羅門」と称されました。
 なお、梁の武帝と達磨大師との間で交わされたとされる問答は以下の様に伝えられています。

如何なるか是れ聖諦第一義。(仏法の根本義はと何でしょうか?)
磨云く、廓然無聖。(カラリとして、聖なるものなど何もない。)
帝云く、朕に対する者は誰そ。(一体、私の前にいるあなたは誰なのでしょうか?)
磨云く、不識。(そんな事は知らない。)

 このほか、武帝が即位して以来、寺を造立したり写経したり、僧を得度させること、記録としてこれ以上の者がないほどであったが、一体どれほど多くのの功徳があるだろうか?とたずねた武帝に対し、「無功徳(功徳など無い)」と答えたともされます。この問答は、「達磨廓然の話」として有名でありますが、経論の文字にとらわれず自己の本来の面目に徹することを目指す、達磨大師の禅思想をよく示しております。
 そして、達磨大師は10月5日に、論敵の毒殺によって亡くなられたと言われています。達磨忌は、達磨大師の命日にあたり報恩の法要を営み、ご遺徳をしのぶ日です。つまり、達磨大師さまが、第27祖の般若多羅尊者より正法を受け継がれ、強い誓願をもって、中国に来られたことを讃歎しつつ、我々も達磨大師の示された正しい教えを益々広めることを誓う意味で、曹洞宗のお寺では、この達磨大師のご命日をお迎えして、報恩の法要を営むのです。
工事中 工事中
このページの上へ
12月成道会 (じょうどうえ) -12月8日-
 12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた事をお祝いする「成道会」の日です。
 お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ育つ中で、何不自由のない恵まれた生活を送っていました。しかしある時「人は生まれてきた以上、必ず年老いてゆくし、また病気にもかかる。そして何より死というものは誰にでも必ず訪れる」という自然の摂理に気づかれます。この逃れようのない苦の現実をいかに受け止め、解決することが出来るのか。お釈迦さまはその答えを求めて29歳の時に、王子の地位も、約束された将来も、恵まれた財産も、そして家族すらもすてて出家の道へと入られたのでした。その後2人の修行者のもとで禅定を学び、また6年にもわたる苦行を続けられるのですが、この生活ではどうしても、本当の意味でのこころの安らぎを得ることが出来ませんでした。
 お釈迦さまは心と体の関係を「琴」にたとえて考えました。
「琴の弦は、緩んでいては良い音色を奏でることは出来ない。これは欲望に自らをまかせた生活である。ここに本当の安らぎはない。 しかし、弦は張り過ぎると切れてしまう。それは自らの命を失うような苦行の生活だ。ここにも、本当の安らぎは存在しない。」
 欲望に任せた自堕落な生活でも、命を失いかねない苦行でもない「ちょうどいい張り具合」にこそ、本当の安らぎがあるのだと感じたお釈迦さまは、苦行を離れ、身体を癒し、菩提樹の木のもとで坐禅に入りました。そして一週間の後、ついにお悟りを開かれたのでした。
 曹洞宗ではこのお釈迦さまのお悟りを讃え、また実践するために、12月1日から8日までの期間「摂心会」という集中的な坐禅修行が各地の修行道場などで行われます。
工事中
このページの上へ
12月年末の行事(除夜) -12月31日-
「除夜」という言葉に見える、「除」という字は、「掃除」などにも使われるように、「お清めをする」という意味があります。つまり、翌日の節分を前に、お清めをする夜ということで「除夜」といいました。あるいは、カレンダーを換えるので、「暦を除く夜」という意味もあるとされています。その意が転じて、現在では大晦日の夜を除夜と称するようになりました。
 かつての旧暦の頃は、1月1日は、1年の始めの日でしたが、合わせて立春でもありました。よって、今でも「新春」という言葉をお正月に使うわけです。
 この日には、「除夜の鐘」を撞く行事が有名です。この日に鐘を108回撞く意味については諸説あるようですが、一番良く知られているのが、108という数が人の煩悩の数であり、これを消除するためであるとされています。他にも、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とする説や、四苦八苦を4×9+8×9=108として数える説もあるようです。
 また、本来は除夜だけでなく、毎日の朝・夕に撞かれるべきものですが、普段は略して18回に留められます。このような、鐘を鳴らすことは中国の宋の時代に始まったものとされており、『勅修百丈清規』には「慢十八声、緊十八声、三緊三慢共一百八声(訳:弱く撞くこと18回、強く撞くこと18回。それぞれ3回(18×3=54の2倍)繰り返して合計108回)」と記されています。
 とかく、様々な理由はありますけれども、それはさておきまして、除夜を迎える前に大掃除をし、心穏やかに年末を過ごしたいものです。
工事中
このページの上へ
-
Copyright © 2015 曹洞宗 鳳来山 光厳寺 All rights reserved.

.